●拡散 《零戦の運命が物語る現代人への指針》【フリージャパンウオッチ】

いつもの水間氏のブログから。
今回は零戦をネタにしてますが…相変わらずの不勉強ぶりが表れてます。

http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-531.html
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-532.html

 【引用ここから】

●拡散《Ⅰ;零戦の運命が物語る現代人への指針》

■昨日、靖国神社遊就館に展示されている「零戦」の前で、「超人大陸」の動画を収録して来ました。これから動画で数回、一般の国民が知っているようで知らない靖国神社を紹介する予定です。

その時、解説するために調べたことを参考に記載します。

日本の軍用機や大砲など兵器の名称は、昭和4頃まで元号の年次を付けていまたした。例えば明治38年に制式採用された歩兵銃は「38式歩兵銃」としたように、昭和4頃を境に皇紀の下二桁を使用するようになりました。それは、大正時代が短く、大正4年を4式とすると、昭和4年も4式となり混同を避けるためです。

それで、昭和15年は皇紀2600年当たり、ゼロゼロのゼロを採用し、制式名称「零式艦上戦闘機」(レイシキ…)となっています。

当時、部隊関係者は、略して「レイセン」とか「ゼロセン」と呼んでいました。また、皇紀2596年に制式採用された重迫撃砲は「96式重迫撃砲」と呼ばれていました。

海軍は大東亜戦争後期には、年次名称をつけることを止めて「紫電改」などの名称にしていました。

アメリカは零戦のコードネームを「ZEKE」(ジーク)とかそのままゼロを使用していました。

零戦は、昭和11年の「航空機種及性能標準;艦上戦闘機の項」に基づいて、三菱が堀越二郎設計主務者を中心に開発し生産しましたが、10000機以上の生産の過半数ライセンス生産で、中島飛行機現在の富士重工業が作りました。

★機種;艦上戦闘機使用別;航空母艦(基地)

★用途は、1:敵攻撃機の撃墜。2、敵観測機の掃討

★座席数;1

★特性;速力及び上昇力優秀にて敵高速機の撃墜に適し、かつ戦闘機との空戦に優越すること。

★航続力;正規満載時全力1時間

★機銃;20ミリ1〜2。1の場合1は7.7ミリを2追加。弾薬砲は20ミリ1につき60。7.7ミリは1につき300。

★実用高度;3000〜5000メートル。

などを要求されていました。

エンジンは中島飛行機製の「栄」が採用されました。

当時、飛行機のエンジンは最先端技術で、当時独自に設計開発できた国は、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアと日本だけでした。

栄エンジンは、空冷14気筒1000馬力の高性能エンジンだった。今のF1の技術水準に当たります。

そして日本の艦載機としては、飛行時に「引き込み式主脚」を取り入れたのは、零戦が二番目だった。

高い戦闘能力は、昭和15年9月、重慶に出撃してから大東亜戦争の初期には無敵だった。その頃のアメリカ軍に「ゼロとドッグファイトをするな」と怖れられていました。それは、零戦の横・縦の旋回能力と航続距離が格段に優れていたからだった。当時のアメリカ軍機は数秒背面飛行するとエンストするためだった。(Ⅱ;へ続く)

●緊急《Ⅱ:零戦の運命が物語る現代人への指針》

零戦は、徹底的な軽量化で機動性を重視したため、装甲板・防弾燃料タンク・ガラス・自動消化装置が搭載されず防御力が劣っていました。

防弾装備が補強されたのは、「改良52型」まで装備されませんでした。また、軽量化のため製造工程が複雑で、アメリカ軍機P-51の三倍の生産工程になっていました。

零戦が、なかなか戦争後期に高性能化できなかった原因は、技術の問題でなく、軍上層部の場当たり的な判断で航続距離の重視や戦闘力を重視したり二転三転して、泥縄式に決めていたからだった。

その弊害は、現在にも通じるのだが、世界をリードしていた半導体ソーラーパネル液晶テレビなどと同様に総合力の集中的判断力の欠陥から、後発国に追いつかれてしまったのです。

しかし、零戦は本土決戦に於いては、性能に勝る米軍機と後発機の「紫電改」と変わらぬ撃墜数を残し、善戦していたのです。それは、南洋の島々と違いレーダーや滑走路など、地上設備が充実していたからだったのです。戦況での運用次第では、零戦は結果を残していたのです。

戦争といえども歴史を冷静に検証すれば、現在が見えてくるのです。

若者には、靖国神社遊就館で戦争の実態を学び、これからの我が国の未来に生かしていただきたいと思っております。それが英霊に、感謝の誠を捧げることになるでしょう。

 【引用ここまで】

…えーと、多少、軍オタだったものからすると噴飯ものです。

まず前半の性能要求について。
確かにこれはその通りで、なんかウィキペディアっぽい書き方だな・・・と思ったら、
  ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F

まんま、丸写しじゃないですか(笑)

まあ、まあ、いいですよ。丸写しでもいつも通り根拠なしで適当な嘘をつくよりはまだましです。

そんなことより、なんで「要求性能」の方を長々と書いて「実際の性能」については記述がないんだ?と、見た瞬間思いました。

零戦の事を書きたいなら実際の性能を書けばいいのに、なぜ要求性能の方だけを詳しく書いたのか。意味不明です。

ただ、少々邪推すると、先ほどのウィキペディアを元にしているとしたら…
水間氏は基本的に携帯でしかネットを見ていないそうなので、性能は表になっていたので携帯からは表が見られなかったという可能性もあります。

しかしまぁ…何を調べて何を解説するつもりだったんでしょう?こんな付け焼刃の知識で。

次に行きます。

>栄エンジンは、空冷14気筒1000馬力の高性能エンジンだった。今のF1の技術水準に当たります。

意味不明です。

零戦が、なかなか戦争後期に高性能化できなかった原因は、技術の問題でなく、軍上層部の場当たり的な判断で航続距離の重視や戦闘力を重視したり二転三転して、泥縄式に決めていたからだった。

えー…そういう部分があったことは否定しませんが…
当時の次世代エンジンである2000馬力クラスのコンパクトなエンジンの開発が遅れたとか、機体サイズ的に「零戦の高性能化」には限界があったとか、二段式過給機が開発できなかったとか色々な技術的制約があったのですが、そのあたりスルーですか?

そして、今回一番の問題はここ。

>しかし、零戦は本土決戦に於いては、性能に勝る米軍機と後発機の「紫電改」と変わらぬ撃墜数を残し、善戦していたのです。それは、南洋の島々と違いレーダーや滑走路など、地上設備が充実していたからだったのです。戦況での運用次第では、零戦は結果を残していたのです。

おいおい!いつのまに日本は「本土決戦」をしてたんだ(笑)
歴史を修正しすぎて、水間氏の歴史の中では本土決戦があったみたいです(笑)

まあ、百歩譲って「本土決戦」を「本土から出撃した戦い」に好意的に読み変えましょうか。

>性能に勝る米軍機と後発機の「紫電改」と変わらぬ撃墜数を残し、善戦していたのです。

そりゃ、あなた。
400機しか生産できなかった紫電改と1万機以上生産された零戦と、その一時期だけの撃墜数だけ抜き出して、何の比較になるんでしょうか?配備数が違うでしょうが。稼働率にも大きな差があるし(そもそも「変わらぬ撃墜数」というのはどのあたりの戦果かはさっぱり読み取れませんが)
それを「地上設備が充実していれば零戦は結果を残せた」とか、それ自体は紫電改だって同じでしょうが。

というわけで

>戦争といえども歴史を冷静に検証すれば、現在が見えてくるのです。

水間氏は冷静な検証というのができていないので、過去も現在も見えてないようです。

せめて柳田邦男さんの「零戦燃ゆ」いやいや「零式戦闘機」くらい読んでから、こういうことは書いた方がいいです。
でないと歴史を学んだ若者は、水間氏の言うことが適当すぎるとすぐにばれますよ。