超拡散希望《『ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神』の秘密》

目次を読んで、「これは古い」と私は思いました。どういう意味でそう思ったのかは後ほど。

拡散希望《『ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神』の秘密》
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-1415.html

■「ひと目シリーズ」第4弾は、戦後封印されていた大東亜戦争時代の報道写真を、一挙に162枚を公開しましたので、アジアを解放した我が国の貢献を文章で知っていても、確信できなかった皆様方のための決定的な資料本になります。


例えば、インドネシアで日本軍政が、インドネシア軍の基礎組織「ペタ」(3万8千名)を創設したときの責任者、原田熊吉中将がペタの訓練を白馬に跨いで観閲している写真も掲載しました。


その他、日本軍とインド国民軍が、インパール戦を戦っている写真もあり、旧軍の方々も驚かれると思っております。


南洋諸島では、米軍機を撃墜したことを祝って、現地人が踊って祝ってくれている写真も掲載してあります。

アジア解放は、二冊にして発表する予定でしたが、一冊にして各国を相対化した方が理解しやすいと判断してまとめましたので、今までの「ひと目シリーズ」よりボリューム感があります。


実際、フィリピン、ベトナムインドネシア南洋諸島、マレー、シンガポール、タイ、ビルマ、インドの戦時中の写真と基礎的な解説をした図書は、今までありませんでしたので、衝撃的な一冊になっています。


目次の一部を紹介します。


★王朝国家タイは日本の同盟国だった

★アジア解放へ疾走する自転車部隊


★英不沈艦の撃沈がアジア解放を決定づけた


★アジア植民地の牙城が陥落した日


★日本はシンガポール医科大学を開校していた


★米軍が破壊し尽くした鉄道を復旧した日本軍


インドネシアで英雄になった日本人


★和やかなジャワの正月風景


山本五十六元帥に黙祷を捧げるインドネシア民衆


イスラム教を尊重していた日本軍


ニューギニアで現地人の健康管理に励む日本軍衛生班


日本兵南洋諸島の大人にも子供にも慕われていた


支那事変から五年経過した北京・上海・南京


中華民国国民政府が米英に宣戦布告


岸信介商工相が説く「土」の力


★海軍航空隊勇士の静かなる覚悟


ビルマ民衆が大東亜戦争一周年を盛大に祝っていた


ビルマも米英に宣戦布告していた


★日本とビルマの絆は現在より深かった


★インド独立への道


チャンドラ・ボースに日本軍が協力するまでの経緯


★日本とインドの友好を永遠に決定づけたインパール


★アジアの守護神になったチャンドラ・ボース


以上ほんの一部ですが、すべての目次に見当たった衝撃的な写真が掲載されています。


書店には8月18日、チャンドラ・ボースの命日から、全国の紀伊國屋書店などの中核店に並びますが、初版に限りがありますので、確実に手にされるためには、紀伊國屋Webなどインターネットでの予約をお勧め致します。


◆【米国】を沈黙させる『ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神』http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4569813895/ref=redir_mdp_mobile/377-4424351-5981427?ie=UTF8&keywords=%E6%B0%B4%E9%96%93%E6%94%BF%E6%86%B2&qid=1375264760&ref_=sr_1_4&sr=8-4


※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文掲載〉http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/

いやあ、なんというか『亜細亜の曙』とかそういう言葉を思い出しますな。
もちろん本はまだ出ていないので見出しだけの話ですが、戦前の軍のプロパガンダそのまんまの文句に見えて、いまさらこんな見出し?と思って笑ってしまいました。

とりあえず、ひとつだけ突っ込んでおきますと…

>例えば、インドネシアで日本軍政が、インドネシア軍の基礎組織「ペタ」(3万8千名)を創設したときの責任者、原田熊吉中将がペタの訓練を白馬に跨いで観閲している写真も掲載しました。


インドネシア軍の基礎組織、というわかりづらい言葉を使用していますが、郷土防衛義勇軍のことです。略称は「ペタ」

この記述ではさも、日本軍が貢献したかのように書いていますが、wikipedia先生によりますと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%9C%9F%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%BE%A9%E5%8B%87%E8%BB%8D
>ブリタル反乱

日本の敗色が濃くなっていた1945年2月14日深夜、ジャワ東部のブリタル(スカルノの出身地)で、ペタの大団が反日蜂起を起こした。それに先立つ1944年2月には米の強制供出や労務者問題に反発して、ジャワ西部・プリアンガン州のシンガパルナ村で、イスラーム指導者に率いられた農民蜂起が起こり、日本人憲兵3人が殺害された(逮捕者800人超、指導者ムストファら23人は処刑された)[7]。こうした反日抵抗運動は1944年以降に続発するようになるが、そのなかでもブリタル反乱は、日本が軍事教練を施した軍事組織が公然と蜂起した点で、軍政当局に与えた影響も小さくなかった。

この反乱事件では4人の日本人が殺害されたが、すぐに鎮圧され、反乱に関与したとして6人の兵士が処刑された。反乱の首謀者とされたペタの小団長スプリアディは終戦前後の混乱の中で行方不明となった。インドネシアの独立宣言後、スプリアディはその功績を讃えられ、発足した正規軍の初代司令官に任命されたが、その行方は依然として知られなかった。

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こんなことも起きてますしねぇ…ついでに、インドネシアの方々がどう思っているか、インドネシアの歴史教科書を扱っているサイトがありましたので載せておきます。

http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.html
第一章 日本占領時代におけるインドネシアの社会生活
B. 経済資源と労働力に対して日本占領政府が行った動員と管理のシステム、そしてそれが社会生活に与えた影響

日本は戦時下にインドネシアを占領した。経済諸資源は、戦争が必要とするものを支援するために動員された。そして、その行政管理の担い手は軍人たちだった。それゆえ、日本による占領期間は短かったとはいえ、長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。

東南アジア(日本は南方地域と呼んだ)に対する支配計画の中で、日本はインドネシアを戦争及び産業で必要となる諸資源の重要な供給地域と見なしていた。その計画を実現するために、極めて異常な搾取と動員が用いられた。日本の占領政府は経済活動の全ての面とその管理を引き継ごうと企てた。その管理を規定する法令が施行された。

経済面での日本の主要な目的は次のようなものだった。

まだまだ続きますので、読んでみてください。
そうとう日本の占領政策は恨まれているようで…こういうことも知らないで「アジア解放に貢献した!」などと相手国の評価も知らないで鼻高々になっている歴史歪曲主義者が実に滑稽です。
もっとも、私は同じ日本人なわけで、この水間氏の姿は相当に恥ずかしいですが。